自らの中ではエスキースというものをここからここまでのことと区切っているわけではなく、むしろ手を動かす前の最初の思考の段階からエスキースと捉えている。終始思考はその場所に建つべき必然の姿がどういうものであるかということであり、それを模索するために敷地の状況や環境を調べ、もともと建主が住んでいるのであれば対話の中から場所の記憶を拾い集めてその地域性や風土を感じるようにしている。その場所にあるべきものが生まれたとき、それは建主のものであると同時に誰かだけのものや場所ではない自立した存在となり、それはもとからそこにあったかのような、風景の一部となっていく。あるべきものを求めるために場所に対しての思考から常始まっていく。
南荻窪の家の敷地は、住宅街ではあるものの緑が多く、割とゆったりした地域性である。道路に対し地盤は高く、東西に20mと長い敷地で、東側にはもともと植わっていた柿の木とその先には緑豊かな隣家の庭、西側の前面道路の向かいは手が入っていない雑木林、南側にはお隣の敷地であるものの庭として使用可能な空地が広がっている魅力的な環境であった。もともと南側のお隣と一つの敷地で、そこに建っていた古い日本家屋に建主が住んでいた頃の話を聞くと、周辺は昔から大きめの区画で庭があるといったほどよい密度の街並みであり、多少なりともの姿形を変えども現在に継承されていることがよくわかった。緑豊かな庭に慎ましく佇んでいる住宅群を見ると、その場所に対する人々の自制的な意識が年月とともに確かな品格として現れていることも感じた。
敷地を知り、読むことが最初の手がかりであり、エスキースの第1段階であるが、その場所が投げかけてきていることに対する想起・思考の段階ともいえる。東西の生い茂った木々と南側の広い庭に囲まれた場所には、心地よい風が吹くだろうし、窓からは木漏れ日が落ち、さんさんと照らされた庭を眺めることもできる。または自然の力が土埃を舞い上げ、ときに木々が折れそうな不安を感じたり、空地に吹き下す寒さや南側からの強い日射も容易に想像がつく。場所から導かれたイメージから、風雨や日射を味方につけるべく堅牢に、そしておおらかではあるが慎ましく、年月とともに 品格を育んでいける建築こそがそこにあるべきものという思考のスタートに立った。

本能としての住居の原風景は屋根であり、屋根に覆われた影を生活する場としてきた。この影をより人の居場所にするために光を取り入れ、風を通すこともまた然りである。南荻窪の家は、育まれてきた街並みの年月という場所の記憶と、施主がその場所で瓦屋根や漆喰の古い日本家屋で育った情景という人の記憶とを風景に内包すべく、昔からそこにあったかのような原初的な住居として、おおらかな空間に大屋根をかけ、過度な主張とならないところから手を動かしはじめた。
思考の整理となる第2段階としての手を動かす際に、平面や断面といったことの前になんとなくのボリュームからの姿形を生活のさまざまなシーンを思い浮かべスケッチをしていくことが多い。敷地から得たものに対し、面積などの基本事項を除くさまざまな制約を考慮せず、できうる限り自らの思考に対し、素直なことを描くことで自らの欲求や恣意性と相対したいと考えている。ここでは、東西に長い敷地形状であることと前述の敷地環境からのイメージである程度早い段階で形状が見えてきている。敷地レベルが道路レベルより高いことから、プロポーションを抑えるために手が屋根に届くくらいの高さの長い平屋形状とし、重心が低く伸びやかな大屋根の水平ラインはゆとりある街並みにも寄与できる表現であると考えた。また、プランとしてのレイアウトや空間のボリュームはこの段階では決めず、思い描く思考を積み重ねていく段階とも捉えている。