山田さんにお話をうかがうと、「今回の設計は自然との関係性をつくるための秩序としての幾何学と、光と影の状態をつくる開口部を含めた壁とを結びつけ、建築を構築することを考えた」とのこと。
思い返してみると、過去の住宅建築は住宅街やそれに近い周辺環境にあった。
ここでは、近隣の住宅の在り方を気にすることなく、豊かで旺盛な自然と対峙し、建築としての領域を規定している。一方で、左官仕上げや土間や木製建具など、選択されている素材やディテールは過去の山田さんの建築の延長線上にある。そして、この二つの相性は抜群によかった。
外周を巡り、1階から2階へ、バルコニーへと進んでいくうちに、「富士南麓の家」は、過去の山田さんの住宅建築よりも、八角形の骨格を四角形のボリュームの中に内包させたお堂「毘沙門堂」(2016)に近いのかもしれない、と思った。
「根源的な意味での生と死の祈りの場を思い巡らせながら設計した」というこのお堂は、40㎡弱の小さな建築であるにもかかわらず普遍的で力強く、そして静かに美しい建築である。


「富士南麓の家」は、ご自身としても「ターニングポイントになりそうだ」とおっしゃっていた。現在進行中のプロジェクトの図面も多数見せていただいたが、どれも魅力的であった。今後の山田さんの建築がますます楽しみだ。
ところで、山田誠一さんは静岡県に生まれ、ゼネコンでの現場監督経験を経て公共建築の設計を請け負う地方の組織事務所に勤務したのちに、ご自身の事務所を主宰されている。有名なアトリエ事務所や住宅作家のもとで、いま実現されているような建築を学んだのではない。現場監督時代に「設計の仕事」に憧れて転身、組織事務所で経験を積みながらさまざまな建築に触れ、現在のご自身の設計思想に行き着いた。
建築と向き合う姿勢は常にストイック。スタッフ時代には所属している設計事務所での理想と現実のギャップに悩みすぎて、設計の仕事をあきらめようと思ったこともあるそうだ。なんと、そのときは小説家になろうと、有名な小説家のゆかりの地を旅して回ったりもしたという。
山田さんと会話をしていると、「自分の足元を深く掘り下げていくことしかできない」「幼いころに友人と山を登って見た夕日がいまでもはっきりと心に残っている」「建築をつくる行為は亡くなった懐かしい誰かに出会うような感覚がある」「訪れた龍安寺の理性的な石庭と偶然的な自然との境界に、人間とは違う時間軸を感じて感動した」などとても印象的で山田さんらしい言葉が並ぶ。
今回体験させていただいた「富士南麓の家」をはじめとする一連の建築は、そんな山田さんからしか生まれないものだ。
わたしも静岡県の出身で地元の組織事務所を経て自身の事務所を立ち上げ、活動している。同じような境遇で、これほどまでにストイックに建築に向き合っている仲間がいることは刺激的でいつも勇気づけられている。また、いつでも山田さんの建築を体感できる環境にいることは本当に幸運だ。
富士南麓の家 写真撮影:川辺明伸
毘沙門堂 写真提供:山田誠一建築設計事務所