この文章は、高橋堅による住宅《荻窪の連峰》についてのレビューである。《荻窪の連峰》はRC造である。よって、まずはRC造について、考えていきたい。
1.オフセットとoffset
RC造、それも打放仕上に話を限定すれば、そこには躯体があり、断熱材があり、下地がいて、仕上がある。それらはよほどのことがない限り、オフセットの関係を結ぶ。
オフセットと聞けば、建築設計者はある特定のイメージを思い浮かべるだろう。特定の線を選択し、距離を入力し、クリックを押せば、その距離にしたがい平行線を引くことのできる、あのコマンドのことだ。
しかし、意外なことに、英和辞典を開いてみると[オフセット]に距離や平行といった和訳はない。offsetの和訳は何か。「相殺する」「帳消しにする」がその辞書的な意味となるそうだ (アプリ版『ウィズダム英和辞典』三省堂)。
以降、CAD上のオフセットの意味でオフセットという単語を用いる場合、カタカナで〈オフセット〉と表記し、「相殺する」「帳消しにする」という英単語の意味でオフセットを用いる場合、〈offset〉と表記する。
2.懐という空間のこと
「建築物は、物質でそれを囲い込むことによって空間をつくり出す。」こんな当たり前のことを書かなければならないのは、《荻窪の連峰》が、ある特殊な空間を囲い込んでいることを、自明にする建築物だからだ。自明にする建築物とは、どういうことか。ひとまず回答は少し先延ばしにしたいと思う。
建築物がつくり出す空間には2種類あって、ひとつは仕上が囲い込むことによってつくり出される空間である。僕たちは囲い込んだ空間に機能を当てはめることにより、建築に用途をもたらす。もうひとつ、建築物は懐と呼ばれる空間をつくり出す。一般的には「躯体と仕上の間にできる空間」を懐と呼んでおり、通常、懐と呼ばれる空間が建築の主題になることはない。いや、それどころか、懐が空間として認識されることはほとんどないだろう。懐はれっきとした建築空間でありながら、不可視であるゆえに、空間であることを黙殺されている。
《荻窪の連峰》は、躯体と仕上の関係を〈オフセット〉ではなく〈offset〉とすることで、懐の空間性を回復させる、数少ない建築のひとつである。懐の、空間としての尊厳を取り戻す建築、といえばわかりやすいだろうか。これから行おうとしていることは、《荻窪の連峰》の、懐の空間のレビューである。これが通常の建築レビューの形式でないことは承知しているが、まずは、一般的な建築レビューの例にならって、《荻窪の連峰》がどのような建築物か、写真と図面と文章で説明したい。
3.《荻窪の連峰》の外部空間について
《荻窪の連峰》を訪れてから、2年が経つ。荻窪の一角の、東京にありがちな匿名性の高い住宅街。古井由吉の短編集『白暗淵』に収められている、《繰越坂》の冒頭の数ページが、この街の印象にピタリとはまる。
正面ファサードは、無窓、家型、コンクリート打放。それ以上のものはない。ベントキャップや配管といったノイズが一切存在しない。
前面道路から、車一台分距離をとって、これ以上切り詰めるところのない簡素なファサードが、匿名的な住宅街にしずかに佇む……第一印象を言葉にすると、そんなところだ。
敷地は奥行方向が長手、間口が短手であり、建物も同じ平面のプロポーションをとる。配置計画に奇をてらったところはない。無窓/家型/打放のファサードに正対し、左側は1m強の植栽帯、右側には1m弱の空地がある。エントランスは右側の空地のもっとも前面道路に近いところにあり、体を左にねじるとポーチがあり、さらにそこから右にねじると扉がある(写真1)。

写真1
無窓/家型/打放のファサードから、この建物は長方形平面をもつ家型のチューブ状のボリュームだと予想したが、右側の空地にひとたび足を踏み入れると、この予想は簡単に裏切られる。三枚の袖壁が、軒のラインに合わせながら雁行しているのだ。外壁は、その袖壁と直行になるように振られて建っている。すると、必然的に直角三角形の軒裏が生じ、敷地の奥に向かって三つ連なっている(写真2,3)。
《荻窪の連峰》は、直角三角形の軒裏を視認することからはじまる。

写真2

写真3
4.《荻窪の連峰》の内部空間について
雁行した外壁と呼応し、内部空間も雁行配置を取りながら三つに分割されている。三つの直角三角形の軒裏を脳裏に残しつつ、エントランスを入り目に飛び込むのは、またもや雁行した内部空間のコンポジションである。コンポジションが目に飛び込むとは、少し奇妙な表現になるが、《荻窪の連峰》においてはこの表現がふさわしい。そう思うほどに、明快なボリューム構成だ。三つに分割されたコンポジションは、エントランスから見て手前が寝室と階段、中間がLD、奥が水廻りといった機能があてがわれている。
どの部屋も、床は薄い赤茶色の、幅広のフローリング。壁はN-90のEP塗装、もしくは打放。天井はN-90のEP塗装。仕上からくる内部空間の印象は抽象的な空間である、といったところだろう(そもそも空間が具象であるか抽象であるかの議論は一度宙吊りにしておく)。そこに、ガラリや建具、丁番や網戸、照明、スイッチやコンセントといった〈生活必需品〉が、空間の抽象度を損なわないようできるだけ丁寧に、適切な箇所に必要な数だけ取り付けられている。三つのコンポジションが雁行している点を除けば、《荻窪の連峰》はとても簡素な建築物だ(写真4)。

写真4
2階へと進もう。2階も1階と同様のコンポジションをもつ。機能の割り振りも、ほぼ同じであるところを見ると、どうやら《荻窪の連峰》は二世帯住宅のようだ。さらに仕上や付属物の配置や数も、1階と同様、抽象的だという印象を受ける。
だが、2階の天井の形は1階と大きく異なる。外観が家型となっているのと同様、2階の三つのコンポジションも家型である。2階は外観と1階のそれぞれの特徴を足したような空間をもつ。三つの家型がズレながら連なるコンポジションを見る限り、〈連峰〉とは、2階の三つの天井の連なりのことを指すのだろう(写真5,6)。

写真5

写真6