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>荻窪の連峰

設計:高橋堅(高橋堅建築設計事務所)

立石遼太郎(松島潤平建築設計事務所)

荻窪の連峰-1 荻窪の連峰-2 荻窪の連峰-3

5.《荻窪の連峰》の尾根について
大きな家型と、その〈オフセット〉としての、三つの家型の雁行……。《荻窪の連峰》を訪れた者はやがて、ひとつの事実に気づくことになる。目の前にある空間を図面に置き換えて理解しようとすれば、三本の天井の尾根線が雁行しているため、それぞれの天井の尾根線は同一線上に並んでいないことがわかる。屋根の尾根線はあくまで一本であるため、屋根と天井の尾根線はそれぞれ独立していると言える。つまり、〈屋根の尾根〉と、〈天井の三つの尾根〉は「ねじれの位置」にある。三つの連峰の上に、幾何的な法則においてそれとはまったく無関係に存在するもうひとつの尾根がある。訂正しなければならない。〈連峰〉はどうやら、三つの天井とひとつの屋根の、四つの尾根の連なりのことを指すようだ。

平面図

断面図

改めて言うまでもないだろうが、《荻窪の連峰》において、屋根(=躯体)と天井(=仕上)は「平行線を引く」という意味の〈オフセット〉の関係にはない。外部から見ると、屋根の尾根しか見えず、内部から見るとまた、天井の尾根しか見えない。屋根と天井の尾根のズレは、それぞれの視点から見ると、帳消しにされている。《荻窪の連峰》は、相殺し、帳消しにするという意味で〈offset〉された建築であると言える。そして相殺し、帳消ししたツケが、長手方向の外部空間の三角形の軒に現れる。三角形の軒は、相殺や帳消しが及ばない唯一の場所であり、その意味で、内部と外部が出会う場所でもあり、尾根のズレを読み解くヒントでもある。つまり、《荻窪の連峰》の起点と言える。


6.《荻窪の連峰》の懐について
ところで、《荻窪の連峰》が《荻窪の連峰》であるためには、尾根のズレはきっかけにすぎない。重要なのは、尾根のズレは僕たちに、懐という空間が存在していることを強烈に意識させるということである。どういうことか。
たとえば、目の前に湯気を上げているケトルがあったとする。よく観察すると、ケトルの口と湯気の間に何もない空間があることに気づく。この何もない空間に気づくまで僕は、湯気は気体だと思い込んでいたが、いざ調べてみると気体は不可視で、湯気は目に見えるため液体だという。翻ってあの何もない空間こそが気体で、だから目に見えないということだ。ここで重要なのは、一度ある異常な事態(=ケトルと湯気の間の何もない空間)に気づいてしまったら、目に見える湯気よりも、目に見えない水蒸気が意識にのぼる点であり、目に見えないはずの水蒸気を、目に見える湯気よりも強く意識してしまうという点だ。

《荻窪の連峰》も事態は同じである。尾根のズレという異常な事態に気づいたとき、目に見えないはずの懐に意識がいく。目に見える仕上で囲まれた空間よりも、圧倒的に強く。
意識下に入った懐は、尾根のねじれによってできた、その「複雑な空間」を僕たちに想像させる。複雑な空間が、この世にたしかに存在していることを想像させる。懐の、空間の復権がここにはある。

7.記号と物質について
RC造の工事監理をしたことがある者なら、誰しもが思うのだろう。打ちたてのコンクリートに軽鉄下地が組まれたばかりの建築物は、物質の集合以外の何物でもない。まだ水気を含んだコンクリートの、乾いているのに湿り気を帯びたような肌合いや、ガラスの汚染を受けていない光を反射して鈍く光るLGS。物質の集合が建築物であると思う瞬間である。それが、竣工が近づくにつれ、あれほどありありと物質であった部材たちは、壁や天井や床といった記号に姿を変える。仕上が施されるにつれ、部材の物質性は霧散し、その代わりに、いつの間にか空間が目の前に立ち現れてくる。

《荻窪の連峰》の、懐の空間を想像しているとやがて、尾根のズレが生み出す複雑な空間が、どのように支えられているのかが気になってくる。躯体に仕込まれた無数のインサートやそこから伸びる吊ボルト、野縁や野縁受けといった懐内の下地が意識の中に入り込んでくる。白いペンキの表面の奥に、軽快に光る金属の塊があることを、ありありと脳裏に映し出すようになる。建築が、物質の集合であることを再認識する瞬間だ。
すると、壁や天井や床、ガラリや建具、網戸、照明、スイッチやコンセントといった建築物を構成していた記号が、一気に物質へと立ち返っていく。EP塗装の、凹凸の陰影。フローリングの木目と節の接合部。欠けて変色したPコン。溶融亜鉛メッキの模様に合わせて揺らぐ光。網戸のアクリル。照明・スイッチ・コンセントのプラスチックの均一な光の反射の、どこか愛らしい安っぽさ。
あれほど抽象的であった、《荻窪の連峰》を構成する記号の集合が、懐を認識し、懐内の下地を想像した瞬間、一気に物質の集合へと転換する。建築物はその字のごとく、物の築きとして建ち現れる。懐を意識すると、天井は白いペンキとなり、懐の意識を外すと、白いペンキは天井となる。懐への意識を切り替えるとそのたびに、空間は記号にも物質にもなり、同時に抽象にも具象にもなり得る。
ミニマル建築に代表される、極端に抽象的な建築がある一方、例えばエレメント主義に代表される、きわめて具象的な建築もあるが、《荻窪の連峰》はそのどちらでもない。《荻窪の連峰》はそのズレた尾根によってできる懐によって、抽象と具象、そのどちらをも相殺している。《荻窪の連峰》はやはり、〈offset〉された建築であると言える。

写真7
写真7


図版提供:高橋堅建築設計事務所
写真撮影:阿野太一

立石遼太郎

立石遼太郎(松島潤平建築設計事務所)

1987年 大阪府生まれ
2011年 武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業
2013年 Akademie der bildenden Künste Wien留学
2014年 東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了
現在、松島潤平建築設計事務所勤務
高橋堅

高橋堅(高橋堅建築設計事務所)

1969年 東京都生まれ/神奈川県藤沢市出身
1988年 神奈川県立湘南高等学校卒業
1993年 東京理科大学理工学部建築学科卒業(工学学士)
1995年 東京理科大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了(工学修士)
1996年 コロンビア大学建築都市修景学部大学院修了(M.S.A.A.D.)
1997年 青木淳建築計画事務所入所
2000年 同事務所退所
2000年 高橋堅建築設計事務所設立
2000年〜京都造形芸術大学非常勤講師
2002年〜東京理科大学非常勤講師
2015年〜昭和女子大学非常勤講師
2016年 前橋工科大学非常勤講師
荻窪の連峰
所在地 : 東京都杉並区
階数 : 地下1階 地上2階 RC造
敷地面積 : 112.25m2
建築面積 : 55.98m2
地階床面積 : 18.43m2
1階床面積 : 55.99m2
2階床面積 : 54.95m2
建蔽率49.87% (許容 50%)
容積率98.83% (許容 100%)
軒高 : 5,260mm
建物最高高さ : 7,950mm
構造 : 長谷川大輔構造計画